人権侵害とその歴史

用語解説

1. 無らい県運動
愛知県の方面委員が愛生園で患者の生活を視察し、帰県してから愛知県よりらいを無くそうという民間運動を始めたことが発端となって全国に広がった運動。これにより各県の衛生当局は警察の協力のもと、住民の投書や村民の噂を根拠にして犯人探索のごとくしらみつぶしにらい患者を見つけ出しては各地の療養所に送り込んだ。
2. 愛生園事件
土木作業に従事していた患者らが賃金増額を要求してスト、光田園長をカンヅメにして団交をする一方監禁室に拘置中であった患者三人を実力行使によって解放。その後、患者側は待遇改善、自治制の認可、園長らの辞職等を要求書にして提出し、内務省と交渉したが決裂、患者らはハンストを始めた。結局岡山県側および内務省側の調停により、待遇改善と作業慰労金の値上げ、一定の自治権が認められることによって円満解決した。
3. 小笠原登博士糾弾
京都大学皮膚科学科特別研究室主任の小笠原登助教授が、らい病は遺伝病でも不治の病でもなく、また感染力も微弱であるから、患者らへの迫害を止めるべきだと主張したところ、日本らい学会で糾弾された事件。
4. プロミン
らい治療の革命をもたらした治療薬。ジアミンにブドウ糖と亜硫酸ナトリウムを結合せしめたもので米国で開発された。これにより、ハンセン病は治療によって速やかに治癒する病となった。
5. 特別病室
職員の裁量により一方的に患者を収監する重監房。栗生楽泉園に設けられたこの「特別病室」には、全国から患者が送られ冬季は零下18度〜20度という環境の下、電灯も暖房もない暗室で、一日梅干し1個と飯、布団2枚の処遇により多数死亡した。
6. 三園長の国会証言
第12回国会参議院厚生委員会において参考人5人が発言したうち、林芳信(多摩全生園長)、光田健輔(愛生園長)、宮崎松記(恵楓園長)ら三園長の発言が、ハンセン病患者の強制収容や断種の励行、患者逃走防止のための罰則強化等を内容とするものであったことから患者の中で大問題になった。全患協は園長らを追及し、らい予防法改正の気運を高めた。
7. 菊池事件(藤本事件)
熊本県下で起こった殺人事件。容疑者がハンセン病患者であったためおそれられて捜査段階で公平な取調べがなされず、証拠物件も危険物扱いにして充分な検証を怠った上、公判も療養所内の仮法廷で非公開のまま行われる等各刑事手続の過程で患者に対する差別と偏見が露呈した事件。従前事件本人の名前から「藤本事件」と呼称してきたが、再審請求に向けて本格的な取り組みを開始するにあたって、事件発生地から名前をとり、今後は「菊池事件」と呼称を改めることとした。
8. 汎アメリカ会議、WHOらい専門委員会、MLT国際らい会議
早期発見、早期治療によって治癒させることに主眼をおいた開放外来治療が推奨され、医学の進歩と人権尊重を考慮した医療政策が報告された。