人権侵害とその歴史

日本国憲法制定後の政策

戦後、日本国憲法が制定され、基本的人権の永久不可侵がうたわれました。それにもかかわらず、「癩予防法」は存続し続けることになります。政府は、厚生省通達や首相答弁で癩予防法が新憲法に違反しないと言明し続けたのです。

日本国憲法
施行 昭和22年5月3日

第11条 基本的人権の享有
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。

第13条 個人の尊重・幸福追求権
すべての国民は、個人として尊重される。生命、及び幸福追求に対する国民の権利に対する国民の権利については、公共の福祉に反し ない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第14条 法の下の平等
すべての国民は法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

1950年(昭和25年)からは、第2次無らい県運動とも呼べる、新たな患者刈りが行われました。スライドの表は、国が当時発表したいまだ療養所に収容しきれていない患者の都道府県別の数をあらわしています。

そして1953年(昭和28年)、国は、強制隔離政策を新憲法下で、永続・固定化する新たな「らい予防法」を制定したのです。
このような一連の政策は、患者を危険なものとして捉え、患者を社会から排除することによって社会を守ろうとする、誤った社会防衛思想に基づくものです。このような政策が人間の尊厳を宣言した日本国憲 法の裏側で進行していったのです。そして、多くの患者が様々な人権侵害に戦後もさらされることになりました。

らい予防法
昭和28年法律24号

第6条1項
都道府県知事は、らいを伝染させるおそれがある患者について、らい予防上必要があると認めるときは、当該当患者又はその保護者に対し、国が設置するらい療養所(以下「国立療養所」という)に入所し、又は入所させるよう勧奨することができる。

黒髪事件

1954年(昭和29年)には、熊本にある菊池恵楓園附属竜田寮の児童四名に対し、地元の黒髪小学校への入学登校に反対する地域住民の運動が巻き起こりました。
感染者でもない入所者の子どもにまで地域社会の差別の嵐がふきすさびました。